鍋島緞通の誕生物語

 「武士道とは死ぬことと見つけたり」、武士の道徳を説いた有名な『葉隠(はがくれ)』は18世紀初頭に上梓(じょうし)されている。当時の佐賀藩は第3代鍋島綱茂(つなしげ)の治世で、藩全体に質実剛健の気風がみなぎっていた。
 綱茂の時代に鍋島緞通は誕生した。有明海の近くで農業を営む清右衛門が異国人から絨毯を織る技術を学んで織ったのが鍋島緞通のルーツと語り継がれている。現物は存在しないが非常に華やかなことから「花毛氈(はなもうせん)」と呼ばれた。当然、評判となり、綱茂公は清右衛門を佐賀藩御用に取り立て、「古賀」の苗字と扶持米を与えている。
 鍋島緞通は御用品の指定を受けたため、鍋島焼と同様に一般への売買を禁止された。正月になると献上品として将軍家へ10枚、老中等の重臣達へ各5枚という具合に毎年50枚ほどが贈られている。ところが明治維新の廃藩置県に伴い御用制度は崩壊して一般へ売買されるようになる。
 古今東西、御用品は伝統と格式を重んずる傾向が強い。創業時の絨毯は現存しないが、おそらく当時のままの姿で現代へ受け継がれているに違いない。

 ここで鍋島緞通の特徴を説明しよう。第1の特徴はすべてが木綿ということである。羊毛は羊が高温多湿の国内に生息していないため調達不可能。絹は高価で敷物の素材として対象外。仮に使った場合は奢侈(しゃし)禁止令に触れてしまう。その点、有明海の干拓地では良質な木綿が栽培されていたので好都合であった。
 第2の特徴は大きさが本間一畳サイズと決まっている。畳上に敷くのを前提としたため、このように決まったのだろう。この点がサイズ自由自在の中国緞通やペルシャ絨毯等と大きく異なる。
 第3の特徴はパイルがペルシャ結びということである。清右衛門が異国人から習った絨毯の製織技術がペルシャ結びだったのだろう。
 第4の特徴は片房。この点は後述する使い方に起因している。そして第5の特徴は「蟹牡丹(がにぼたん)」に代表される独特のデザインである。名前の由来は大輪の牡丹の花を蟹がハサミを振り上げた姿に見立てたものである。中国では牡丹を吉祥として大切にする習慣があった。蛇足だが蟹牡丹を「かにぼたん」と読んでは失格、「がにぼたん」と濁って発音して頂きたい。玄人か、素人かの判別は発音で決まる。

 さて鍋島緞通は写真のように10枚セットで敷くのが基本である。実際、京都の素封家等ではそのように使用している。だから片房なのである。

 

写真:畳の上に敷かれた鍋島緞通