白色の歴史

 古今東西、衣食住の全ての分野で、日本人以上に「白」を好む民族は他に見当たらない。衣では、花嫁衣裳や下着の白。それだけではない、切腹の時の裃(かみしも)も白である。食では、食器やテーブルクロスの白。そういえば主食も白米だ。住では障子や漆喰の白。特に日本のミセスは、「白い瀟洒な家」が憧れという。もちろん壁紙も例外ではない。売れ筋は、ベーシックな白が突出だ。この白を好む日本人の習性は、各種団体が実施してきた「色彩好感度調査」からも確認されている。おそらく長い歴史の中で徐々に形成されてきたものであろう。したがって、そう簡単には「白の時代」が去ることはないだろう。

 さて歴史に登場する最古の白色顔料は、「白土」と呼ばれる白い粘土である。紀元前2万5千年前から1万5千年前に描かれたスペインのアルタミラ洞窟内部の動物画には、これらの白土が用いられている。

 6千年前にエジプトで古代文明が興隆するが、ここで最も頻繁に使われた白色顔料は「白亜」であった。これは白亜紀の甲殻類(こうかくるい)の炭酸カルシウムで、現在では「石灰」と呼ばれている。この頃には「石膏」(硫酸カルシウム)や「ハンタイト」(炭酸カルシウム-マグネシウム)も登場している。天然石膏は塩を含む河川の堆積物から成立し、岩塩と共に産出する。その中でも塊状になっていて、光沢と結晶構造を持つ天然石膏を雪花石膏(アラバスター)と呼び、古代エジプトでは杯や器等の素材として珍重された。この頃、「方解石」や「大理石」の粉末も使われるようになり、これらはマーブルホワイトと呼ばれ、ローマ時代のポンペイ装飾では多く見受けられる。
 さて古代エジプトでは、「鉛白」(塩基性炭酸鉛)という白色顔料の一大発見があった。金属塩を一定の方法で腐食させて作る鉛白は「クレムス・ホワイト」と呼ばれ、1830年に亜鉛の燃焼で生ずる軽い白色粉末の「亜鉛華」(酸化亜鉛)が発見されるまでは白色顔料の代表であった。
 ところが1916年に金属チタンの酸化物の「酸化チタン」が発明されると、たちまち普及し、現在では白を代表する白色として「チタニウム・ホワイト」と呼ばれている。このように人間の英知と探究心は無限で、「白」を演出する白色顔料も数千年という歴史の中で変遷を重ねてきたのである。

 

写真:瀟洒な白い建物群(スペインのアンダルシア地方)